とりあえず無事生きてる。
正直ビビった。三陸沖で9日にM7.2。想定されてた地震にしちゃ小さい気もするけど、これ以上はないだろうな、と。余震も続いてるけどこのまま終息かなと、たまたま気分転換にネットを見ながら思ってた時に揺れが始まった。
横揺れがちょっとでかくなり、あ、やばいかなぁ・・・ と思った瞬間に机の上のパソコンや機材が滑り始め、停電になり、この時点で初めて身の危険を感じて机の下に潜る。幸いパソコンもデジタルオシロ *1 も出来たばかりのチェッカーも落ちる事もなく、余震対策で床に下ろしてから外へと避難。
自分の身の安全は確保完了。子供らは学校だが、この時点では何も手出し出来ない。携帯は発信規制がかかってるがメールは送れたので、相方と弟 *2 に無事を連絡。その後寒さしのぎに車に乗ってて良いとの許可が出たのでラジオで現状把握と情報収集しつつ、帰りのルートのシミュレーション。どの道が通れるのか。鬼怒川は渡れるのか。停電の復旧は期待出来ないとして、明かりと暖房と食料の確保をどうするか。子供の迎えは微妙でスクールバスで帰ってる可能性もある。そもそも学校に何時にたどり着けるかも解らなかったし、相方がどう動くのかも解らなかったのでその辺はケースバイケースとして、帰宅難民を想定しつつ、帰宅命令と同時に行動開始。
気は焦るが、事故 *3 で動けなくなったら最悪なので、とにかく安全第一で自宅方面に向かう。交差点で多少難儀はしたものの道路の崩壊や渋滞もなく、結果として意外とスムーズに走れたのでそのまま小学校へ。まだ数人の児童と先生方が校庭にいて、担任から既にスクールバスで帰った事、学校関係者全員が怪我もなく無事である事の報告を受ける。あいさつとお礼もそこそこに、すぐ近くの実家に顔を出して無事を確認し、自宅へ向かう。
ほとんどの家の瓦が落ちたり塀が倒壊しているのを見ながら、今夜の寝床をどうしようかなぁ、と考えていたのだが自宅も母屋もほぼ無傷でホッとする。
水道がまだ生きていたので風呂場に汲み置きを開始し、子供の上着と毛布、あるだけの食料と飲み物、懐中電灯を車に移動。その後家の中の被害を確認するも、どこが揺れたん?ってくらいフツーな状態。どうやら自宅ら辺一体は、比較的揺れなかったらしい。
福島原発で云々と騒いでいるので電機の復旧はあきらめたが、母屋から借りた石油ストーブはあるし、ガスも使えるし、水もとりあえず出る。LED化しておいたマグライトは一晩中点けておいても平気な事は確認出来てる *4 し花火で使うためにハコ買いしたローソクもある。ラジオは町に貰った防災無線とTRMでFM聞くのに使ってた携帯ラジオがあったし電池は十分。携帯は車で充電出来るし、ひとまず生きてくための用意は十分出来た。陽が長くなったこの時期だったのは不幸中の幸いだったかな?
欲を言えばワンセグ携帯だったらテレビも見られた *5 のだが、まぁなくても困らなかったな。カーナビでも見られたのだが、バッテリ上がりやガソリン消費など、リスクがデカいし。
夜になったらもう出来る事はない。余震は怖いので一階の茶の間に布団を敷き、ひとまず寝る。
一番助かったのは子供らが、怖がるどころか「お泊まりみたいで面白い」と喜んでいた事か・・・ (っ´▽`)っ
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